35歳の哲学

〝迷った心が楽になる〟人生の考えを記録。書きたいことを書き記す。

詩から学ぶ!子供叱るな来た道だもの

シニアと若者の関係が、最も良好な関係につながるような取り組みができたら、きっと世の中が変わり始めるんじゃないかと考えてしまいます。

 シニアが若者を馬鹿にし、若者はシニアを馬鹿にする。

だから、馬鹿の先取りをして、相手を立てる。

立てられた方はそれに気づかず調子づく。

それが良好な関係づくりの鉄則。

 どちらかが大人の対応でなければなりませんが、いつかはどちらも気づくような関係になったら、それが最善ではないでしょうか。

本日は、詩から気づいたことを書き記します。

 

<目次>


1.詩

シニアと若者が手を取り合う環境を作ることができたら、物凄く楽しい環境になるんじゃないのかと想像してしまいます。

子供叱るな来た道だもの
年寄笑うな行く道だもの
来た道行く道二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道


たとえ、生きている間に手を取り合うことができなくても、互いの関係を尊重しあえるような間柄になることができたら幸せです。

しかし、いつも問題となることといえば、お互いの考え方の違いのはず。


2.ケガをするからやめた方がいい

たとえば、40-50代の親御さんのご年齢は、60-70代でしょうか。この年代になると健康を思って運動教室へ通われる方が多い印象を受けます。しかし、当人(シニア)の意思とは反し、「行かないでくれ」が本音のはず。

なぜ、行かないでほしいのか。それは、けがをして通院に付き添うのは誰なのかを考えれば、答えは明白。一度ならまだしも、二度三度となれば話はかわりますよね。

そんな場面で必ず行ってしまう言葉が「もう運動教室へ行かないでくれ。ケガをするからやめたほうがいい。親父(お袋)のために言っているんだ」という言葉。

その背景には、自分が付き添いたくない思いで充満していますが、主張できないところが日本人ですよね。


3.ここから得られる気づきとは

シニア世代と言われている人たちが運動する理由の一つとして、不健康と言える時期を過ごした経験があるからではないでしょうか。体調を崩すとなにもできなくなると知っているから、健康保持に力を入れる。

筋力は、否が応でも低下します。筋力低下の進行を止めることができなくても、進行速度を抑制することはできると知っています。一日でも長く自立した生活をおこない、子供たちに迷惑をかけないと思う気持ちこそが、両親の思いであるといえます。

私たち若者にとってもプライドはありますが、若者から耳を傾けることも必要ではないのかと考えます。私たちが暮らしている社会では想像もできない環境で社会を守ってきた人たちのため、労う気持ちはあってもいいのかもしれません。

その一歩が、ジェネレーションギャップをうめ、新たな一歩を踏み出す行為につながるといえます。


4.まとめ

今回、人のためを思って伝える言葉の背景について考えさせられました。

「相手のためを思って伝えている言葉」の裏側には、実は誰のためでもなく「自分のため」の言葉として意味を持つのです。

両親や祖父母が、なぜ教室へ通うのか。もしくは、なぜ通い続けるのか。

子供叱るな来た道だもの
年寄笑うな行く道だもの
来た道行く道二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道

この詩を通じて、気づかされた考えの一つでした。