35歳の哲学

〝迷った心が楽になる〟人生の考えを記録。書きたいことを書き記す。

紅葉観賞~大自然から学ぶ~

紅葉を味わう季節がやってきました。紅葉スポットと言われる場所の多くには、一眼レフカメラを所持して町歩きしている人たちが目に写ります。

一般に、紅葉の楽しみ方といえば、神社やパワースポット巡り、ハイキングや登山、温泉を味わいながら紅葉観賞を楽しむ方が大多数ではないでしょうか。

少数派の私はというと、気が置けない人とベンチに腰掛け、無心で紅葉を味わうひとときを贅沢と感じます。

贅沢な時間を過ごしているときほど、今まで気づいていなかったことに気づくから贅沢なんですよね。

そこで、今回は紅葉観賞中にひらめいた気づきを紹介します。自然に身を置いて過ごす時間(グリーンエクササイズ)をすごしてみると、ひらめきのプレゼントがあるからやめられません。

<目次>

 

1.沈黙を味わうひととき

一緒に居るんだから話しなきゃ!と主張される方と一緒にいると、正直疲れてしまうことがあります。

私のようなタイプを、俗に「コミュ障」と言うようですが、コミュニケーションしなければならないと思い込みすぎる方が「コミュ障」と感じてしまうのは私だけでしょうか。

紅葉観賞では、無言のひとときを味わいます。なにもしゃべりません。なにもしゃべらないかわりに、風がなびく音や葉がこすれあう音が聴くこえてきます。野鳥のお気に入りの樹木には、動物たちが集い、会話を楽しんでいるように聞こえます。

目を閉じて耳を澄ませてみると、どこからか川のせせらぎが聞こえます。あたりを見回しても視界には川は見当たらない場所でしたが、15m圏内から聞こえてくるような感覚があります。

自分の呼吸音が聞こえてくるような静寂のひとときで、無心でいると、脳内の記憶がシャボン玉のようにひらめいては消える思考行為がつづきます。

しゃべることで安心感を得る人と一緒に居ると、こうした味わいが難しいのですが、ときどき、しゃべることも大事にしながら沈黙を味わう人と出会えるから助けられています。

紅葉観賞では、人と一緒にいても沈黙を楽しめる味わいがあります。

 

2.光が当たる場所もあれば陰になる場所もある

紅葉過程では、緑→紅へ移り変わる時間にはタイムラグがありますそのため、彩りの変化を味わうひとときが非常にここちいい。

私たちが起床するころ陽は昇り、就寝するころには既に陽は沈みます。至極当然な話ですが、葉の色の移り変わりはまばらです。

森林の樹木の周囲には、無数の樹木があります。高低大小と多様さを伺えるほど違いがみえるため、光が当たる場所もあれば陰になる場所もあることがわかります。

だから、緑→紅へ移り変わる時間にはタイムラグがあるのです。

 

3.人にも光と陰がある

ここからわかることは、社会も同様だということです。

情報社会の現代では、インターネット上にありとあらゆる情報サイトが掲載されています。その光があたった情報の裏側には、光が当たっていない情報もあると理解する必要があります。

職場や家庭、地域や趣味などのコミュニティに属しているのなら、光が当たって美しく見えすぎているところもあり、見えないところもあると理解できるのではないでしょうか。

また、光が当たっている箇所は一部分だという理解もできるはず。社会生活を送る中で、人が言葉におこしている内容は、発言者が光をあてたい一部分であり、受信者が光をあてたい一部分であると思い出させてくれます。

紅葉観賞で光と陰があるように、人も光と影があると覚えておきたいものです。

 

4.まとめ

一般的な紅葉観賞を味わうことも楽しさを覚えますが、少数派の私はこのような楽しみ方のほうが自分にあっています。なにをするにしても、自分に合っている方法で、自分と似たような感性の持ち主と過ごすひとときは贅沢ですね。

しかし、忘れてはならない視点として、ゆらぐ木漏れ日の味わいのような心地よさにつかりすぎていると、その他の環境がみえなくなることもあると覚えておきたいと感じました。